先日、月に一本執筆していた仕事が紙面の構成変更の関係で受け持っていたところのコーナーが終了するとのことで仕事が一つ終わりました。
また次の機会もあるかもしれませんが、大体3,000文字前後を目安にということで書いていました。時間にすると推敲なども合わせると7~8時間前後だったように思います。
その時間が浮いて、さてどうなったか。
何かがなくなっても時間は変わらない
実際のところ、月に7~8時間前後の仕事がなくなったわけですから時間としては大きいはずでした。
一日分の仕事時間と考えるとわかりやすいでしょう。つまり一日浮いた計算のはずです。
ところがそうたいして自分の仕事時間に余裕ができた感覚はありません。
仕事を効率化して(今回の場合は効率化ではなく不可抗力で減ったわけですが)、その時間が浮いたとしてもそこに新たに仕事を入れている可能性があります。
今回のケースですと先月と今月は相続業務と今回初めて担当する法人の規模の大きな決算があったためその時間に充てていました。(タスクと時間管理のExcelを見ていての自己分析)
そうなると自分の時間をいかにうまく使って仕事の時間を減らしたとしても、仕事をしてしまっているわけですからあまり時間的余裕ができたとはいえなさそうです。
仕事の浮き沈み、依頼と解約は表裏一体というかいつあってもおかしくない状態です。
幸いなことにいまはご依頼が続いていますが、解約が続くなんてこともあるやもしれません。
何かを始めるチャンスではあったはずですが、自分次第、状況次第でその浮いた時間はほかの仕事に充てられてしまう、というのを経験しています。
それは必ずしも悪いわけではないのでしょうけれど、わたし自身はこれで時間ができたし新しくやろうと思っていた仕事をしよう、と意気込んでいました。
お恥ずかしい話ですがそれを始めることはできていません。
時間があろうとなかろうと、時間を作れるのを待っていたら自分はやらないかもしれない、というリアルな経験をして負荷をかけたほうがいいんだろうなと。
適切に負荷をかける
適切に負荷をかけるというのは無理をするわけではなく、時間がないなりにとりあえずやってみる、ということ。
昔このブログを始めた時はフルタイムの勤務時代で、続くかどうかは全く定かではなかったのですがなぜか自分で毎日更新と決めてしまったため、独立する前1年ちょっと毎日更新していました。
よくやってたなとは思いますがいまは独立後で自分の時間をある程度自由に使える環境ですからそもそも状況が違います。
それでも時間ができたらブログをやってみようという考えだといまもやってなかった可能性はあるわけです。
時間ができたらやるはあまり効果がない、というのは今回仕事がなくなって浮いた時間を使える!と意気込んでいた自分に気付きを与えてくれました。
無理をして体調を崩しては本末転倒ですが適度に負荷をかけて時間がなくてもやってみる、というのが自分には合っていそうです。
まとめ
時間があってもやらない、というのを身につまされたというか。時間があってもなくてもやらないことは多分ほんとうにやりたくないことなんだろうなと。
やりたいことは時間を見つけてでもやるはずですので。時間ができたらやりたかったことはちょっと予定を組みなおしてみます。
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