気づいたら、YouTubeの動画が500本になっていました。
500という数字に、キリのよさ以上の意味はありません。それでもふと立ち止まって「よく続いたな」と思ったので、今日はその話を少し書いてみます。
本数を自慢したいわけではないです。ただ、続けた先に見えてきた景色があって、それを書き残しておきたくなりました。
500本は、狙って積んだ数字ではない
一本ずつで見れば、たいした本数には感じません。
週に数本、それを何年か。振り返って数えてみたら500本だった、という順番です。
最初から「500本撮るぞ」と決めていたら、たぶん途中でやめていたと思います。数字が大きすぎて、目の前の一本が軽く見えてしまうからです。
実際にやっていたことは、その日の一本を撮る。ただそれだけの繰り返しでした。
撮る内容も、そのときにご相談で聞かれたことや、書いたブログの延長で決めています。壮大な計画があったわけではありません。
続けるコツがあるとすれば、一本あたりのハードルを上げすぎないことくらいでしょうか。凝った編集にしようとすると、それだけで手が止まります。
だからこの500本は、狙って積んだというより、気づいたら積み上がっていた、という言い方のほうが近い気がします。
積み上げの効果は、遅れてやってくる
正直なところ、最初の頃は反応もほとんどありませんでした。
再生回数が二桁で止まったままの動画を見て、「これに意味があるのかな」と思っていた時期もあります。
いまになって思うのですが、発信の効果は本数に比例して見えてくるものではないようです。少しずつ増えるというより、しばらく何も起きない時間があって、あるとき遅れてまとめてやってくる。そんな感覚に近いです。
50本のときと500本のときで、一本あたりの手応えが変わったわけではありません。撮っているときの気持ちも、正直そんなに違わないです。
ただ、全体として「見つけてもらえる」確率は、確かに上がりました。
なぜそうなったのかを、きれいに説明できるわけではありません。ただ、順番としては続けた後にそうなった。そこだけは確かです。
いちばん変わったのは「思い出してもらえる」こと
続けてよかったと感じるのは、実のところ数字の部分ではありません。
ご相談やお問い合わせ、ご依頼をいただいたときに、「動画を見ていました」と言ってもらえること。これがいちばん大きいです。
しかも、昨日今日見ました、という話ではないことが多いです。「前に見たことがあって」というパターン。何かが必要になった瞬間に、思い出してもらえている。
もちろん、動画を見た方全員がご依頼くださるわけではありません。むしろほとんどの方は、見て終わりだと思います。それでいいとも思っています。
発信というのは、その場で売り込むものというより、必要になったときに思い出してもらうための置き手紙みたいなものだ。最近はそう考えるようになりました。
置き手紙なので、書いた瞬間に読まれるとは限りません。ずっと後になってから、必要な人が偶然開ける。そのくらいのつもりでいるほうが、こちらの気持ちも続きやすい気がします。
たぶん、これからも一本ずつ
500本はゴールではなく、単なる通過点です。
次は1,000本、と目標を立てるつもりもあまりありません。数字を追い始めると、たぶん一本ずつが雑になります。
これまでと同じように、聞かれたことを撮って、思いついたことを撮る。その繰り返しでいいかなと思っています。
ただ、こうして振り返ってみると、積み上げてきたのは動画だけではないのかもしれません。
続けているうちに、話す順番の組み立て方も、伝わらない説明の見分け方も、少しずつ変わってきました。そちらのほうが、本数よりも残っているものかもしれない、と最近は思います。
劇的な反応はなく登録者数も1,000ちょっとと規模としてはスモールですがご依頼のキッカケになっているのであればこれが一番自分の収穫としては大きいです。
また静かに積み上げていきます。
