先週、YouTubeの動画が500本になった話を書きました。書きながら、ひとつだけ引っかかっていたことがあります。
「よく続いたな」と自分でも思ったのですが、では動画を撮るのが特別好きなのかというと、正直なところそこまででもありません。それでも続きました。
なぜだろうとしばらく考えていて、これはたぶん「好き」ではなく「苦にならない」だったんだな、と思い当たりました。
今日はそのあたりの話を、少し書いてみます。
「好きを仕事に」が、ずっと少し苦手だった
独立するとき、「好きなことを仕事に」という言葉をよく目にしました。
ただ、私にとって税理士は、好きで選んだというより、続けられそうだから選んだ仕事です。数字や制度に囲まれている時間が、そこまで苦ではなかった。理由としてはそのくらいのものでした。
国家資格があったほうが自分の経歴やキャリアを考えたときに仕事に困ることが少ないだろうなという気もしていたのは正直なところです。
そのことに、しばらく後ろめたさのようなものがありました。情熱が足りないのではないか、と。まわりには、この仕事が本当に好きで、という方もいらっしゃいますし。
「好きなことを仕事に」は、たぶん正しいのだと思います。ただ、それしか道がないみたいに言われると、少ししんどかったな、というだけの話です。
向いていなかったことも、いくつかある
一方で、続かなかったこともあります。
大きな組織の中で動くこと。勤めていたころ、仕事そのものよりも、その周りにある調整のほうで疲れていた記憶があります。
独立してからのことで飛び込みで営業をする、というのも同じでした。一度やってみて、早々にたたみました。
向いていないと分かるのにも、やってみる時間は要りました。無駄だったとは思っていませんが、早めに分かってよかったな、とも思います。
続かなかったことのほうが、実は自分のことをよく教えてくれた気がします。
得意なことは、たいてい自分では気づかない
反対に、得意なことのほうは、自分ではなかなか気づけませんでした。
文章を書くこと、同じ説明を何度でも繰り返せること、細かい制度を調べること。どれも自分にとっては当たり前すぎて、価値だと思っていなかったものです。
気づいたきっかけは、いつも人からの言葉でした。「それ、助かります」と言われて、え、これがですか、と思う。その順番でした。
自己分析をしていて出てきたわけではありません。自分の中を掘っても、当たり前のことは当たり前のままで、輪郭が出てこないのです。
得意というのは、他人の反応でしか分からないのかもしれません。自己分析より、人に言われたことのメモのほうが、たぶん当てになります。
自分が苦にならないことは、たいてい誰かの苦手なこと
そして、これがいちばん大きい気づきでした。
「助かります」と言われたことを並べてみると、どれも自分にとっては、大したことではない作業だったのです。
- 領収書を月ごとに揃えて、数字にしていくこと 帳簿を作っていくこと
- 税務署から届いた封筒を開けて、期限と必要な対応を確認すること
- 条文を読んで、どちらが有利かを比べること
以前、お客様に「あの封筒、見るだけで疲れるんです」と言われたことがあります。作家さんにとって、こうした作業は描く時間を確実に削るもので、しかも気が重い。
同じ作業を、私はさほど消耗せずにやれてしまいます。そこに仕事があった、という話です。
絵が描けないから税理士になったわけではありません。ただ、絵が描ける人が苦手なことを引き受けられるから、仕事になっているのだとは思います。
得意というのは、他人より上手いこと、ではないのかもしれません。同じことをやったときに、自分のほうが消耗しないこと。その差額が、たぶん仕事の値段になっているのだと思います。
続けられたのは、意志が強かったからではない
そう考えると、500本続いたのは根性ではありませんでした。
単に苦にならなかった。そしてその「苦にならない」が、たまたま誰かの困りごとと噛み合っていた。それだけのことです。
だから、続かないことがあっても、自分を責める必要はないのだと思います。たぶんそれは意志ではなく、相性の問題です。私も、続かなかったことのほうが数としては多いです。
朝晩の空気が少しずつ変わってきて、夏も終わりかけています。
好きなことを探すより、「やっても疲れないこと」を数えてみる。そのうちのどれかが、誰かの「面倒くさい」と重なっていたら、それが仕事になるのだと思います。
