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梅雨の京都を走りながら考える、続けることの意味など

毎週土曜日はいつもロングジョグの日にしています。

平日は仕事のあれこれを抱えながら走ることも多いのですが、土曜日のロングジョグだけは、特に何も決めずに、ただ走る。これが自分にとってのちょっとしたデトックスになっています。

目次

走るときはデジタルから離れられる

ランニングは、自分にとって運動であると同時に、デジタルから距離を置ける趣味でもあります。

普段はラジオを聞いたり、Audibleで本を聞いたりしながら走ることが多いです。耳から何かを入れていると、走っている時間がインプットの時間にもなって、それはそれでありがたいです。

ただ、土曜日のロングジョグだけは、あえて何も聞かずに走るようにしています。

スマホからの通知も、誰かの声も、音楽もない。聞こえてくるのは自分の呼吸と足音と、川の音くらい。週に一日でも、こうしてデジタルから完全に離れられる時間があるのは、思っている以上に大きいなと感じています。

頭が空っぽになるような、それでいて止まっていた考えがすっと整理されるような、不思議な時間です。

目的地を決めずに走るのも好き

ときどき、目的地を決めずに走ることもあります。

先日は走り出してから、ふと「そういえばアジサイの季節だな」と思い立って、アジサイを探しながら走ってみました。

これが、やってみると意外とおもしろい。御池通には意外とアジサイの植栽が多いんですよね。

普段は意識せずに通り過ぎているのですが、「アジサイを探そう」と思って見ると、あちこちで咲いている。意識していなかっただけで、ちゃんとそこにあったわけです。

あとで知ったのですが、こういうのを「カラーバス効果」というそうです。あることを意識すると、それに関する情報が自然と目に入ってくるようになる、という心理の話です。

走りながら、視点を遠くに置いたり近くに寄せたりするような感覚で景色を眺めるのが、わりと好きです。

遠くの山並みをぼんやり見ていたかと思えば、足元の植え込みに目を落としてみる。視点のストレッチをしているような感覚というか。

これも、何も聞かずに走っているからこそできることなのかもしれません。

何かを続けるということ

昨日のブログで半年を振り返ったのですが、走りながら、そのことを少し反芻していました。

ランニングも、発信も、仕事も、結局のところ「続けること」がいちばん難しいなと思います。

速く走ることより、止まらないことの方がずっと難しいです。

フルマラソンの大会に年に2回ほどエントリーしていますが、マラソンほどメンタルスポーツなものはない気もしています。

どこで止まっても歩いても誰も文句言いませんからね、自分が納得できるかどうか。

フルマラソンは誰かにやれと言われてやるものでもないですし、自分でしんどいことを選んでいるわけです。

走りながらもなんでこんなしんどいことしてるんだろうと思うことは正直あります。それでも足を前に動かし続けないとゴールできません。

フルマラソンを走っていると「これよりしんどいことはそうそうない」という気持ちもわいてきますし体だけではなく精神鍛錬にもなっています。

止まってしまったほうがどれだけラクか。

記録を狙ってがんばる日もありますが、それよりも、来週も再来週も、淡々と走り続けられているかどうかの方が、自分にとっては大事だったりします。

無理なく、でも止まらず。そのくらいのペースでいいんだろうな、と。

走り終えて、汗を流して、コーヒーを一杯飲む。この時間がまた格別なんですよね。最近は走った後の朝食が一日のなかでも結構な楽しみになっています。

走り終えたあとの、頭がすっきりした感じのまま、また平日に戻っていこうと思います。

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この記事を書いた人

ひとり税理士として独立開業した京都在住の税理士です。ひとり税理士としてチャレンジしていること、考えていることなどを発信していきます。

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