走ることを習慣にしてから、なんだか色々なことが動き始めた気がしています。仕事のことも、生活のことも。
とはいえ「走ったおかげで」と胸を張って言えるほど、はっきりした因果があるわけでもありません。
ただ、体感として「走り出してから、いい方向に転がることが増えた」。
その曖昧な感覚を、今日は書いてみます。
走り始めた頃は、ただの気分転換だった
最初の動機は、たいしたものではありませんでした。
健康のため、あとはデジタルデトックスのため。そのくらいの軽い気持ちで走り始めています。
朝の京都を走ると、頭の中がすっきりします。夏のいまは5時台に出ないともう暑いので、明るくなりかけの鴨川沿いを北に向かうことが多いです。
それだけで十分だと思っていました。
走っている間は、仕事のことを考えない。……つもりだったのですが、力を抜いた瞬間に、ふっと考えがまとまることが増えました。
机の前で唸っていたことが、走り終わると片づいている。そんなことが何度もありました。そんなに多くないですが嫌なことも忘れられますし考えずに済みます。
何も考えないというよりも考えが浅い状態が続くというか、深くは考えられません、ぼくの場合は。
頑張って考えたから出てきた、という感じではないのです。むしろ、考えるのをやめたら出てきた。そちらのほうが近い気がします。
因果は分からない、けど順番はいつも同じ
ここからが、書いていて少し困るところです。
走ったから動いたのか、動く時期だったからたまたま走っていたのか。正直、分かりません。
ただ振り返ってみると、新しいことに手をつけた時期と、走る距離が伸びた時期が、なぜか重なっています。去年の秋もそうでしたし、この春もそうでした。
もちろん、証明できる話ではありません。たまたまかもしれないですし、たまたまでないのかもしれない。
それでも自分の中では、走る、気持ちが整う、動ける。この順番になっている気がしています。
結果がどうなったかはその時々ですが、順番だけは、いつも同じです。
仕事にも、たぶん少しだけ効いている
以前、お客様から「仕事だけじゃなく、走っている時間があるのはいいですね」と言われたことがあります。
そのときは社交辞令かなと思って聞いていたのですが、あとになって少し考えました。
依頼する側から見ても、余白のある人のほうが安心なのかもしれない、と。
自分のほうにも、変化はありました。
走る時間を確保するために、仕事の段取りを前倒しするようになったのです。朝に1時間使うと決めてしまうと、その分をどこかで調整しないと走らない理由になります。
いまでこそ走ることにポジティブですが、走り始めのころはネガティブ寄りのフラットな感じでしたし。
何かを習慣にしようと思うとその続けたいことをやらない理由をなるべく減らすほうが続くと思っています。
なので、走るための時間を作るために、かえって仕事が締まる、という感覚です。
目的は完全に趣味の側にあるのに、結果として仕事の回り方まで変わっている。これも、狙ってやったことではありません。
分からないまま、続けている
結局のところ、走ることが何にどう効いているのかは、はっきりとは分かりません。
でも、分からないからやめる理由にもならない、とも思っています。
むしろ「理由は説明できないけれど、続けていると調子がいい」。そのくらいのものを、いくつ持っているか。生活の質は、案外そのあたりで変わってくる気がします。
証明を待っていたら、たぶん何も始まりません。
とりあえず続けてみて、あとから振り返る。独立してからずっと、そのやり方だけは変わっていないのかもしれません。
