京都大学の山中伸弥さんが、日経のポッドキャスト「NIKKEIランナーズサロン」で、マラソンは禅だと話されていました。
聞いていて、妙に納得しました。山中さんは朝日新聞のwebコラムでも、無心で走る時間のことを書かれています。
走っていると考えがまとまる、という話は以前もこのブログに書きましたが、二つを聞いて読んで、その理由が少し分かった気がしています。
私がいちばん納得したのは、走る時間は「何かを考えるための時間」ではない、というところでした。
走っていると、考えがまとまる
朝のランから帰ってくると、抱えていた段取りや、お客様への説明の順番が、なんとなく片づいていることがよくあります。
シャワーを浴びて机に向かうと、さっきまで迷っていたことの順番が、もう決まっている。そんな朝が何度もありました。
この感覚は、9月の「走りながら言葉にする習慣」という記事でも書きました。ただ、振り返ってみると、走りながら「よし、考えよう」としたことは、ほとんどありません。
考えようとしていないのに、まとまっている。今回は、そこが気になっています。
ランニングをしている時間は自分だけの時間で誰かに邪魔されるということがなく、自分に向き合う時間という意味でも朝の一時間はとても大事です。
でも、深い思考はしんどくてできない
本番に向けてピーク期に入り、テンポ走や、嵐山まで往復する20キロのロング走が増えてきました。
きつい区間では、込み入ったことを考える余裕はありません。呼吸と脚のことで、頭がいっぱいになります。
税務の判断や数字の検討のような深い思考を、走りながらやろうとしたこともあります。でも、すぐにしんどくなって、手放してしまいます。
走りながら考えられるのは、浅いことを少しだけ。それが、私の実際のところです。
ひとりで走るから、まとまるのかもしれない
誰かと一緒に走ると、相手のペースに合わせますし、話す言葉も選びます。考えていることが、自然と「会話」になります。それはそれで楽しい時間ですが、頭の中を整理する時間とは少し違います。
ひとりだと、誰にも合わせなくていいし、誰にも説明しなくていい。
浅い考えが、言葉にならないまま浮かんでは消えて、残ったものだけが、いつの間にかまとまっている。そんな感じがします。
ラジオやAudibleを聞きながら走る日もあります。山中さんも、オーディオブックを聞きながら走ることがあるそうです。
それでも、聞くだけで返事をしなくていいという意味では、やはりひとりの時間です。
宅建の勉強をしていた頃は、走りながら講義を聞いていました。その時期は頭が講義でいっぱいで、仕事の考えがまとまる感覚は薄かった気がします。何も聞かずに走る日のほうが、帰ってきたときにすっきりしていました。
山中さんが書かれていた、頭を空っぽにできる時間も、ひとりで黙々と走る場面でした。番組の紹介にあった「心を整え、新たな発想を生む時間」という言葉とも重なります。
禅のことは、正直よく分かりません。
ただ、「ひとりで、考え込まない」状態のことなのかもしれない。自分なりには、そう受け取りました。
仕事のひとりと、走るときのひとり
考えてみると、仕事でも私はひとりです。
ただ、仕事のひとりは、判断も段取りも、全部自分で抱え続けるひとりです。
誰かに相談することはあっても、最後に決めるのは自分。その重さは、独立してからずっと続いています。
走るときのひとりは、判断をしなくていいひとり。ペースもコースも、走り出す前に決めてしまえば、あとは脚を動かすだけです。
同じひとりでも、中身が逆でした。
抱えるひとりと、手放すひとり。ひとり事務所を続けていくには、たぶん、どちらのひとりも要るのだと思います。
